忠烈王(ちゅうれつおう1236年-1308年)
文永の役・弘安の役においては元に日本侵攻を進言し、兵力と経費を提供するとともに毎年元に莫大な貢物、人員等を頻繁に送り忠義を示した。
『高麗史』元宗十三年 三月己亥「惟彼日本 未蒙聖化 故発詔。使継糴軍容、戦艦兵糧、方在所須。儻以此事委臣、勉尽心力、小助王師」
【訳】未だに日本の野郎だけモンゴル様に服従していません。だから命令を発し日本侵略の準備をしてください。
その仕事を私に任せてください!モンゴル様をお助けし忠義を尽くし日本侵略をがんばります!