ためなる名無し より
焦土作戦で現地の補給を立つ 防塁と長弓でてつはうを封印 血の気の多いお侍さんが人質諸共敵軍殲滅 台風で被害でたのは大陸経由の部隊 半島から来たほうはほとんど損耗してなかったけど逃げた 取り残された連中は鷹島で後は以下略
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どうも神風だけが追い返せた要因じゃないみたいだが 白人はモンゴルに屈服して支配された歴史があるので 日本人はまぐれで勝ったんだと信じて自分らの面子を 保ちたいんじゃないかと彼らの心理を予想する
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※21 長弓に熟練している武士は矢を四町(400m強)飛ばしてたそうだね。 ただ殺傷能力を有する有効射程は60~70mくらいだったらしい。 さらに和弓の矢じりには刺す、切る、砕くなどの目的に応じて種類も多く使い分けてた。和弓は金神頭という置盾を砕くための矢まであった。まるで現代のホローポイント弾だ。
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モンゴルだって馬鹿じゃないんだから、台風の季節は、はずしているよ。 後の祈祷によるカミカゼ伝説だよ。 モンゴルが強いのは、名声と武器と馬による機動力だ。平原以外では、 当時の狂気の侍たちにはかてねぇ。小船を操り、船に白兵戦を仕掛けているからな。
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台風が来る可能性があるのは冬以外全部だから台風の季節を外してなんかいない 冬は日本海が荒れるから来れない それなのに何か月も海上にいたんだから台風を待っていたようなもの 一度目は九州のわりと深くまで攻め入ったんだから退却せずに攻め落とせばよかったのに勝手に撤退して瓦解した挙句二度目の襲来を何年も先にして幕府に準備期間を与えるという無能采配...
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ヨーロッパを席巻したあのモンゴルらしくないのは確か。 多分良くを吹き込んだり、けしかけたり、フネの手配をしたのが 某半島人だったのが敗因なんだろうな。法則は1200年代から生きていた。 超汚染人には関わるな。のう、モンゴル衆。
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忠烈王(ちゅうれつおう1236年-1308年) 文永の役・弘安の役においては元に日本侵攻を進言し、兵力と経費を提供するとともに毎年元に莫大な貢物、人員等を頻繁に送り忠義を示した。 『高麗史』元宗十三年 三月己亥「惟彼日本 未蒙聖化 故発詔。使継糴軍容、戦艦兵糧、方在所須。儻以此事委臣、勉尽心力、小助王師」...
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秀吉の文禄の役ではわずか二週間ほどで日本側はソウル近郊まで攻め寄せている。 モンゴルが本当に強かったのなら最低でも博多ぐらいは占領できていたはず。 船にいつまでも留まっている必要もなかった。
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モンゴル帝国の武士評 王惲『汎海小録』 「兵杖には弓、刀、甲がある。しかし戈矛は無い。武士は騎兵を結束している。殊に武士の精甲は往往黄金を以って之を為り、珠琲をめぐらした者が甚々多い。 刀は長くて極めて犀なるものを造り、洞物に入れて、出し入れする。ただ、弓は木を以って之を為り、矢は威力はあるが、遠くには届かない。人は則ち勇敢にして、死をみることを畏れない。」 鄭思肖『心史』...
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